インタビュー

インタビュー 04 佐々木陽輔(株式会社自由屋・ウォータージャンプ場経営)

人の数だけある物語

岩手で活躍している方々のインタビューを掲載するコーナー「wonderfutures」

第4回目のゲストは岩手県雫石町にて自由屋サマーゲレンデを経営する佐々木陽輔(ささきようすけ)さん。岩手の大自然と、スノーボードをこよなく愛するその人にインタビューしてみました。

佐々木陽輔(株式会社自由屋・ウォータージャンプ場経営)

現在は雫石にあるサマーゲレンデウォータージャンプの運営をメインに行っています。2019年の3月に自営業で経営していた自由屋を法人化しました。

そして今、盛岡の松園にスノーボードやスキーの練習場を自分で作ろうと計画中です。

スノーボードで食べたいと思った

インタビュー 04 佐々木陽輔(株式会社自由屋・ウォータージャンプ場経営)

小学校の頃とかは、大工になりたかった時期があったり、ボディビルダーになりたかった時期があったり。高校では、馬が好きになって。乗馬の勉強がしたくなり、水沢農業に行き乗馬の課に入り、乗馬の勉強をしていました。

途中で乗馬は合わないなと気づきまして、馬に乗ってると酔うんですよ。目が回ってしまって。その時に、これ違うなと思って。

高校卒業の頃には、ずっと趣味だった釣りと山菜取りを活かして、ペンションを経営しながらスノーボード出来たら良いなと思うようになりました。なので高校卒業したら調理の専門学校に入って、調理免許と取ろうと思ったんですよ。

それで調理の学校を卒業して、いざ皆んなは就職って時に『自分は就職しません』と言いまして。

将来はどうせ事業やるんで。という気持ちだったんですよね。

会社や事業がどういう仕組みで動いているのか、お金の流れだったり。経営に興味があったんです。

調理の専門学校卒業後は色々な所に行ってバイトしてました。飽きっぽいので、そのバイト先のお金の仕組みとか流れを覚えたらすぐ辞めてしまって。すぐ違うバイトに移ってましたね。

魚屋とか本屋さんとか。本屋さんは面白かったですね。色々な本が仕入れで入ってくるので勉強出来るんですよ。面白くて本屋さんだけは長めに働きましたね。

冬場になると、雪山に働きに行ってました。北海道とか宮城とか。岩手に限らずですね。その時にはスノーボードのインストラクター免許も持っていたので、冬はインストラクターとして働いてました。スノーモービルでソリを引っ張ってみたり。冬場のイルミネーションを作ったりもしました。

21歳で八幡平に土地を買う

インタビュー 04 佐々木陽輔(株式会社自由屋・ウォータージャンプ場経営)

1番最初に手に入れた拠点が八幡平の土地でした。21歳の時ですね。

八幡平の土地を買うまでの間は徹底的に貯金ばっかりしていました。休んだ事がほとんど無かったと思います。学生時代から土日は全部バイトしてましたね。それで貯めたお金で一括で八幡平の土地を買いました。

11歳からスノーボードを始めていて、とにかくスノーボードが好きすぎてヤバかったんです。スノーボードをしながら食べていく方法は何が良いんだろうと、この時もやっぱり考えていて。

発想的には、こういう仕事につきたいって考えていたのではなく、スノーボードをしながら生活がしたい、その為にはどんな仕事が良いんだろう。と、逆算的に考えていましたね。

それで、もう八幡平の土地にスノーボード場を作ろうと。

まずはその土地を整備するところから始めました。最初はゴミを捨てたり開拓して、ログハウスを建ててみたりもしました。そして、そこにスノーボードで滑れる雪山を作りました。

夏場には自分で軽トラックの荷台に小屋を建ててキッチンカーを作り、ホットサンドの販売とかもしてましたね。ここで調理学校に行ってた勉強も活かせました。

八幡平の土地には雪山を作ってお客さんに滑ってもらい、夏にはキッチンカーで事業を行う。色々と楽しくやってはいたんですけれど、その頃に父が体調を崩して他界してしまったんですね。

その時をきっかけに、1度しっかり働いてみようかなと。何故か自分の中に芽生えまして。スノーボードとは関係ない事で働いてみようと。

自営業からの就職

工場に就職しました。工場長も経験して北東北の事業統括部長まで経験しました。そこまで経験して思った事は、やっぱり経営って面白いなと思ってましたね。

とは言っても仕事を続けていく中で会社というか組織、人間関係に疲れてしまったんですね。元からやりたかった『自分でやる』っていうスタンスに戻りたいなと。

盛岡に山を買う

インタビュー 04 佐々木陽輔(株式会社自由屋・ウォータージャンプ場経営)
盛岡の松園の山。練習場の予定地。

会社を辞めて、その時に貯めたお金で盛岡に1万坪の山を買いました。32歳の時です。盛岡近郊のこの場所に20代の時に八幡平の土地に作ったよりも本格的なスキーとスノーボードの練習場をもう一度作ろうと。

ただ自分で買った山だったんですけれど。山を開いていくのに林野庁などに都度許可が必要だったんですね。さらには、その山は埋蔵文化財の指定地でもあったので、教育委員会にも求めないといけない。という事もあり、これは練習場を作るまでには許可や申請で長期戦になるなと。

ウォータージャンプ場の経営者に

雫石のウォータージャンプ場(自由屋サマーゲレンデ)

盛岡の練習場は働きながら作ろうと思って。それで勤めたのが雫石のウォータージャンプ場のあるサマーゲレンデです。ここではスノーボードのインスラクターの経験も活かせました。

従業員として働いていたらウォータージャンプ場のオーナーさんが、誰かに譲りたいという話をしていて、『だったら自分が買います』と。

それで雫石のウォータージャンプ場の経営者になります。

ウォータージャンプ場もとても面白かったんですよ。夏場にも練習出来るし、小さい子供などもとっかかりやすい。

ウォータージャンプであれば夏場にしっかりと仕事が出来るのも良いなと。夏は雫石のウォータージャンプで冬は盛岡の雪山で過ごそうと。

盛岡の松園のスノーボードとスキーの練習場はまだ完成していませんが、作ることも諦めていません。今も少しずつですが整備しています。

原点はスノーボードが大好きな気持ち

インタビュー 04 佐々木陽輔(株式会社自由屋・ウォータージャンプ場経営)

今もスケールは大きくなっていますが、原点は21歳の初めて事業をした時と変わらないですね。これからも、大好きなスノーボードやウィンタースポーツを通してコミュニティを作っていけたらと思います。

常に『面白そうだな』って思った状態で終わりたくないというか。『ああ、つまんなかったな』でもいいからやってみて確かめたいって思ってますね。

インタビュー 04 佐々木陽輔(株式会社自由屋・ウォータージャンプ場経営)