インタビュー

インタビュー 02 高橋伸(cafe style bar VIVID)

修行の始まり


そこから修行の始まり、最初は焼肉屋さんからスタートしました。今までずっとデスクワークだったのが今度は立ち仕事に変わりました。すごくきつかったですね。その後も1年くらいは立ち仕事に慣れなくて。ご飯を食べる時には箸を持つ手が痺れて大変なくらいでした。

その焼肉屋さんは社員の人達は若い人が多かったし、アルバイトは高校生ばかりでした。高校生の若い連中と、30のおじさんが一緒に働くわけですよ。こっちは仕事を覚えたいし、高校生にも負けたくないという、負けず嫌いの気質がそこでも発動して。

我先にお客さんのところに行ってオーダーを取ったりしてましたね。本当にその焼肉屋さんでは良くしてくれて、社員にならないかと声を掛けていただきました。

しかし、そんな中目標だった地ビールのレストランの面接を受けにいきます。その時の面接は後に北上市長さんになった方でした。事情を話して、ぜひ働かせて頂きたいって言ったら、「よし来なさい」という事で念願のレストランで働く事になります。実は、そこは、そんな熱い思いで入ったところなんですが3ヶ月で辞めてしまいます。

悔しい思いもしましたが、この時の経験として1つ良かった事が、レストランのオープンに立ち会えた事ですね。自分は焼肉屋さんで覚えた事しか知らないわけですよ。その経験でやろうとした時に全く動けなくて。オープンした日に「早く持って来い」って罵声も浴びましたね。

あの時の気持ちは忘れられないですね。

全然対応出来なくて。その夜にみんなで集まって明日どう動けば良いかってミーティングをしたり。そういった経験は後々役に立ってますし、人との出会いもこの時に色々とありました。

勇気をくれるアンパンマンの歌詞


そのあとは少し時間が空いて、アパートにいながらどうしようかなって思って。子供がまだ小さくて、いつもビデオで見ているのはアンパンマンなんですよ。アンパンマンの歌にすごく勇気付けられるんですよ。笑 あの歌詞は素晴らしいですね。俺、頑張んなきゃなーって。励まされました。

盛岡での修行の日々


そのあとは盛岡に移る事になります。盛岡で繁盛店だったエスニックのお店があったんです。当時千葉に住んでる社長が盛岡に3店舗出してました。菜園の店と、中央通りの本店と、大通りに1店舗の3店舗ですね。

そこの菜園の店の面接を受けます。その時の面接では後々には独立するつもりだって事情も話して。そしたら雇っていただけました。

ただ生活があるので、昼は菜園店、夜は本店で働く事になり、掛け持ちさせてくれたんです。そこでまた修行が始まります。でも面接の店長さんがドレッドヘアだった時はぶったまげました。笑

僕自身そんなに派手な方じゃないし、ずっと公務員を経験してきているので、民間に入った時に、今までやってきた所と真逆だなって感覚があって本当に大変だったんですが、ただ、一番感じた事が、みんなイキイキ働いていたんですよね。それにはいつもすごく刺激されました。

昼はドレッドヘアの店長、本店に行くと20歳くらいの社員とか。あとは10代でちょっとヤンキーみたいな人とかいて。でも皆さんとても良い人達でしたね。

厨房にはフィリピン人とかもいて、カタコトでオーダー出したりとか。そんな経験をする中で自分の世界が広がるような、感覚は得ましたね。勉強しながら全く違う世界に居るなっていう。

1年くらい働いて、他でも働いてみたいと思いました。

当時大通りに超人気のカフェがありました。当時大通りはまだ賑やかな時代でした。ランチになると凄い行列が出来るようなところでした。

次はここで働き、ここでも昼と夜どちらも働きました。

そこでは、同い年の社員さんに、いつもめっちゃめちゃ怒られましたね。

色々とミスするとすぐ怒られて。もうへこむ毎日でした。笑

そこではドリップでコーヒーを淹れる事だったり。カクテルの作り方やサービスも教わりました。

そこでも1年くらい働きます。

厳しかったけれども、その経験が自分を成長させてくれたと思います。

独立へ向け


いよいよその後、独立しようと思いカフェも辞めます。ただ良い場所が全然見つからなかったんですよ。立ち上げるところまでの壁を乗り越えるところまで中々行けなくて。すごく迷っていて。

実際、出来なくて生活も苦しいからまたバイト生活に戻るんです。

住んでいたアパートの近くに、寿司の配達専門店っていうのがあって。3ヶ月だけバイトするんです。そこの店長さんとの出会いが大きかったんです。

ある言葉があって。そこの店長さんは以前、個人でお店をオープンさせて経験があったんです。しかし、知らない町でお店を軌道に乗せるまでが本当に大変だったと。

それが大変だったから、「もし独立したいなら地元で出せば?」って言われたんです。もし上手く行ったら違う場所で出せば良いじゃんって。それがずっと頭に残ってました。

その寿司配達専門店を辞めて独立のチャンスは伺っているんですが、これまた中々出来なくて。

以前勤めていたカフェに戻るんですね。その時には2号店がちょうど旗揚げになるって時でした。で、その2号店で働き始めます。

ここでのエピソードは、女子高生に注意された事もありました。当時お客さんにも学生は制服禁止だったんですよ。制服で来てたから、愛想良くなくしてたら、その女子高生からクレームの電話がきて。私も注意されてシュンってなりましたね。笑

当時働いてたカフェで、古くなると廃棄される雑誌、「hanako」とか「elle」とかを全部持ち帰っていました。自分のこれから作りたいお店のイメージがあると切り抜いて。

スクラップにしていました。こんな料理にしたいな、こんな内装にしたいな、みたいな。一冊のノートにまとめ想像を膨らめていきました。お金が無いなら無いなりに。

そんな事をしている時期に地元の店舗が空くよって、義理のお義父さんから連絡が入りました。

さっきの寿司屋さんからもらった言葉が思い出すんですね。あんなに反対していた両親も、その時には応援してくれるようになっていて。

念願の店舗、「cafe style bar VIVID」オープンへ


修行から3年半かかったんですけれど、2000年の10月に「カフェスタイルバービビット」を地元でオープンさせました。その時に助けられたのが、地元の同級生、サラリーマン時代にお世話になった方々、そして友人達でした。寿司屋の店長さんの言われた通り、地元の利がここにはありました。

本当にありがたかったですね。オープンの時に祝開店とかって大きな花ってあるじゃないですか。今でも持っているんですが、そこには友達が個人名を一人一人書いてくれています。

それを見た方々はとてもビックリしていましたよ。

「こいつね、役場辞めた変わり者だから」って人に紹介された事もありました。当時、変わり者って言葉にはショックだったんですよ。今思えばそれは当然な事かもしれませんが。

わがままを貫き通して、実は目立ちたいところも自分の中にあって、人とは違う事をする事に興味があるというか。変わり者と言われ、本当は喜ばなきゃいけないですよね。でも当時はそう言われるとショックな自分が居ましたが。笑

「何で役場辞めてお店やってるの?」みたいな声が凄く多かったですね。

それぞれ節目があるんですが、子供の成長も励みになります。進級するにつれてお金もかかるので頑張らなきゃいけないって思いになってましたね。

若い頃にバンドを組んでいた事もあって、お店で音楽ライブをやりたいっていうのがありました。何とか稼がなきゃなんないなって思った時に、やっぱり当初考えてる事をやってみよう。って思って、通常の営業と共に不定期ですけど現在も音楽ライブをやっています。

自分で企画して何かをするのが好きなので、紫波町循環型の町作りという取り組みにも参加し、エコショップに認定頂き、自分のお店でエコに関する勉強会を開催した事もあります。

やっぱり自分で何かを企画して行くのは自分に合った生き方かなって今でも思います。

2015年に現在の場所に移転しました。ここのオーナーが一歳上の先輩だったんです。ちょうどそのオーナーが会社の建物を新しくする時に、テナントを入れるって事で声を掛けて頂きました。

ガラス張りになって綺麗だし、もっと広くなったら音楽ライブも出来るなって思って。カウンターが一段高くなっている作りなんですけど、この感じは昔から夢に出てきてたんですよ。

そのイメージがあったり、色々な事を考えていく中で、これはチャンスだなと。前に居たところは古い建物だったので。水のトラブルとかも色々ありましたね。この先何年と働く時に、ここでは無理かなと思ってましたので、そんなタイミングもあって移転を決断して。今に至ります。

日詰商店街時代の店舗写真

ビビット、名前の由来


色々な人との出会いがあって支えられてるかな、実際。

お店の名前の「ビビット」っていうのは、ビビットって呼ばせていますがこれは、英語の「VIVID」から名付けました。は、ビビッドカラーだと「強烈」「鮮やかな」って意味なんだけれど。そのほかに「生き生きとした」とか「はつらつ」とした意味が「ビビッド」っていう単語にはあって。

良いなーって。そういう風にありたいし、来てくれるお客様がそういう風になれば良いかなって。

そんな思いで「ビビット」という名前にしました。全部に濁点が付くのが嫌だったので、「ビビット」としています。笑

実際、僕は地味な人なんですが、派手なカラーとかは好きです。だからお店のメインカラーは赤です。

地味ですが、ハートは情熱的なものを持っていますから。笑

今後について


これからは、人と人を繋げていく事も私の役割かなと感じています。

現在月一で勉強会を始めました。ここから刺激を受けつつも、人が繋がるスペースなればと思います。

10月1日に「日本酒の日」というのがあって、地元の日本酒の4つの酒蔵を集めて日本酒会を開くのが今年、2019年の目標です。

伝えたい事


伝えたい事は、飛び込んでみたら良いさって事ですね。ちっぽけな勇気でも、そこに飛び込んでみれば、そこからまた次のスタートが始まるんです。頭で考えているだけではダメなんだよね、やっぱり。俺、体育会系だからかもしれないけど。笑

そこに入って行って感じる事で、一歩一歩って進めるかなって思います。

頭でっかちにならないで、まずは始めてみたらと。その道に飛び込んでしまって。

何かやりたい事を考えてるなら諦めず。また一生懸命やっていると、不思議と誰か助けてくれる人も現れるものなんです。

勘違いから始まってもいい。自分の可能性を信じて、諦めない強い心さえあれば。

一歩進むごとにその経験が自信になるんです。まずはその一歩を踏み出して下さい。

最後に、君もアンパンマンになれる!そう、僕もアンパンマンになれるさ!!

アンパンマンのマーチ 

作詞やなせたかし

そうだ!嬉しいんだ生きる喜び
たとえ胸の傷が痛んでも
何の為に生まれて 何をして生きるのか
答えられないなんて そんなのは嫌だ!
今を生きることで 熱いこころ燃える
だから君は行くんだ微笑んで。
そうだ!嬉しいんだ生きる喜び
たとえ胸の傷が痛んでも。
嗚呼アンパンマン優しい君は
行け!皆の夢守る為
何が君の幸せ 何をして喜ぶ
解らないまま終わる そんなのは嫌だ!
忘れないで夢を 零さないで涙
だから君は飛ぶんだ何処までも
そうだ!恐れないでみんなの為に
愛と勇気だけが友達さ
嗚呼アンパンマン優しい君は
行け!皆の夢守る為
時は早く過ぎる 光る星は消える
だから君は行くんだ微笑んで
そうだ!嬉しいんだ生きる喜び
たとえどんな敵が相手でも
嗚呼アンパンマン優しい君は
行け!皆の夢守る為


▷『cafe style bar VIVID』ホームページ

[ad]スポンサードリンク [/ad]
1 2 3