インタビュー

インタビュー 02 高橋伸(cafe style bar VIVID)

wonderfutures 02

岩手で活躍している方々のインタビューを掲載するコーナー「wonderfutures」第二回目のゲストは岩手県紫波町でcafe style bar VIVIDを経営する高橋伸さん。その半生に迫る、ロングインタビューです。

高橋伸(cafe style bar VIVID、オーナー)

岩手県、紫波町日詰に『カフェスタイルバービビット』というバーがある。バーであるが暖かさのあるアットフォームな空間が魅力です。

今回はオーナーである高橋伸さんにインタビューを行いました。

どんな経緯でこの場所にお店を開店し、歩んできたのだろうか。

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紫波町日詰。カフェスタイルバービビット


紫波町日詰にあります「カフェスタイルバー ビビット」という飲食店で、私はオーナー兼マスターをしています高橋と申します。お店はカジュアルなフレンチや、イタリアンをつまみに、キメの細かな泡の樽生ビールと、100種類以上のカクテルと、こだわりのウィスキーやワインを提供しています。料理は、地元産のお肉がおすすめです。

地元紫波町のもちもち牛のステーキや、合鴨のステーキ、これは他では中々食べられない物なのでおすすめしています。

あとは、お酒の飲めない人も楽しめるように、スイーツやソフトドリンクも取り揃えております。最近の人気はパルフェ。締めパフェが人気となり、女性のお客様に特に喜んでいただいております。

夜だけの営業のお店ですが、「カフェスタイルバービビット」という名前にある通り、カフェスタイルだけどバー。基本はバーなんです。気軽に入ってきて頂きたいと思い、カフェのメニューも取り入れて、「カフェスタイルバー ビビット」という名前にしています。

学生時代、卓球漬けの毎日


私は二人兄弟で、4つ上に姉がいます。長男ではありますが、末っ子気質かなと自分でも思います。小さい頃からわがままな部分がありました。小学生の時は、短気な性格から、野球、柔道、そろばんは長続きせず、中途半端に辞めてしまっていましたから。

中学校では卓球部に入るんですが、なぜ卓球部だったかというと。小学生の時、週に一回クラブ活動みたいな感じで卓球をしていて、自分は上手だなと思っていました。父親は利き腕と反対の左で、ラケットを持って試合したんですね。そしたら、当時自信を持っていた私より全然上手という。笑

まあ大人だったからという事もありますし、父親は運動神経も良い人だったんで。でもそれがすごく悔しくて悔しくて。強くなりたいなと思い卓球部に入ったんです。

当時1つ上に卓球が上手な先輩がいて、一緒に練習していたんです。その先輩は中学の時は活躍できなかったんですが、引退した後もじっくり教えてくれて、2年生の新人戦の時に個人戦で優勝出来たんです。

悔しさをバネに練習して優勝して。3年生の大会は準優勝で終わったんですけどね。その先輩は高校から頭角を現し、大活躍し、私の目標でした。

練習して結果を出してという経験は自信に繋がっているのかなと思います。勉強自体はあんまりしてなくて、ただ授業中は真面目に聞いてるタイプ。先生の目だけは真剣に見てるみたいな。聞いてます的オーラを出して頭の中は違う事を考えてました。(笑)

中学の時はずっと卓球ばかりやってきたから、あんまり勉強はしていなかったんです。でも、受験しなきゃなって時に、頑張って勉強したんですよ。そしたら勉強も学年でまさかの一番になって。

なんだこれはみたいな。笑

当時ハンドボールで大活躍した高校生が新聞に載って、これまたシュートシーンがとてもカッコ良かったんです。なんだろうこのスポーツはと思って、ここに進学したいと思いました。

学年で一番とっちゃったもんだから、勘違いしてました。実際の実力よりも上の高校に、勉強したらもしかしたらなんとか行けるかなと思って。進学先をそこに決めました。

しかし先生には「落ちるぞお前。」って言われたんですけど。

でも私負けず嫌いなんですよ。見返してやらなきゃって気持ちになって頑張ったんです。受験した時に、紫波から盛岡に行ったでんすけど、当時、紫波の人達は皆んな坊主で。

盛岡に行くと長髪の人とかいるんですね。「あれとんでもないところに来てしまったな。」みたいな感じで受験したんですけど。笑 勘違いも、自分の可能性を信じて、頑張ったかいがあって。

その受験で幸いな事に、合格出来て。念願のハンドボール部に入るんですが…

高校時代


厳しい部活、仮入部からガッツリやるわけですよ。凄く寒くて風の強い日だったですけれど、長距離を走らさせられる訳です。卓球で室内競技ばかりやってきたので、すっかりやられました。

結果から言うと仮入部で挫折してしまいました。

中学時代に卓球部で活躍していた事は、高校でも知られていたので、卓球部のある先輩からずっと勧誘されていました。

ハンドボール部をあっさり辞めて卓球部に入るんですね。卓球部の先輩たちは強い中学校からきてる人が多くて。

そこで揉まれて、高校2年生の県民体育大会の学年別個人戦で、県で3位になれたんです。

一生懸命卓球に専念したというのは覚えてますね。それが卓球としてはピークでした。笑

高校時代は部活オンリーみたいな感じで頑張りましたね。

1つ面白いエピソードがあるのですが。当時紫波から盛岡までバイク通学してたんですよ。当時バイクで通学するって何人も居なかったんですが、ラッキーにも許可をいただいたんですよ。

バイクが大好きでどうしても乗りたかったので、嬉しかったですね。笑

卓球部の先輩と国道4号戦をバイクで飛ばしてたんですよ。どうやらその脇を体育の先生がタクシーで通ったらしくて。それを目撃されて後日、体育の授業中、急に体育教官室に呼び出されまして。笑

いきなり坊主にされました。笑

そのあとに、県大会で3位に入ったもんだから、あいつは大会で気合を入れる為に坊主にしたんだぞってなって、練習試合をした他校の生徒が部活の皆んな坊主にされてたんです。

「坊主になったのはお前のせいだ」って言われましたね。笑

坊主になったのは気合をいれる為じゃなく、悪い事したからなんですけどね。笑

一度は挫折した部活動でしたが、どこかで見返してやるぞと強い気持ちは持っていましたよ。

就職へ


卓球は3年生まで続けて、そこそこの成績は残せたんですけど、7月頃かな。すっかり受験勉強に取り残されている事に気がつきました。

最後の大会が終わりました。ってなった時に全然気持ちが切り替わらなくて。勉強も好きじゃ無い。卓球ばかりやっていたから入学時から成績はどんどん落ちていって、自分は就職だなって思ったんです。

そこで国家公務員になろうと思いました。何でその時そう思ったかは忘れちゃったんですが、でも結果は落ちちゃったんです。

その後にたまたま、地元の役場の職員採用試験も受けていました。たまたま役場の試験に合格しましたが、当時はいい時代で、その年の採用は10人ありました。大卒7人、高卒3人でした。

落ちた時はどうにでもなるなー、なんて思っていて。ウチのお袋は床屋やってたし、駄目なら専門学校にでも行こうかなーとか。

将来をそこまで考えず、なるようになるさ的な、しょうもない男でした。

続き ▷第二話 『自分の中の違和感、違う人生へ』


▷『cafe stayle bar VIVID』ホームページ

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